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0 2 7 9  どこにでもある ― そこにしかない という価値 
建築の友人がHPを作ったということで、早速訪問。 その中にサヴォア邸の写真がアップされていた。

ポアシーというパリ郊外の小さな田舎町にあるサヴォア邸。 友人のHPには、建物の写真はもちろん、駅からの道程を写した写真も載せられていた。 そして僕自身、それらを見てとても懐かしかったのは、サヴォア邸の画よりも、そこへ至るまでの風景を切り取った写真の方だった。

駅前から続く街の小さなモールを抜け、教会の前を通り、土木的なスケールの古い擁壁で両側を囲まれた坂道を行く。 小さな交差点を右に折れて、さらにひたすら緩い坂道を進むと、やがて右の林の中に案内板が見えてくる、そんな一連のシークエンス。 僕がサヴォア邸を訪れたのは去年の夏だった。

近代建築史の流れの中、最も重要なポイントとして燦然と屹立する住宅。 それに正面から対峙した時、少なからない興奮を覚えたのは確かだ。 けれどそれよりも、むしろどこにでもある、さしてとりとめのないフランスの片田舎の風景の方が、今となっては感慨深く、またノスタルジックに思えたのは何故だろうか。

どこにでもあるような風景。 旅とはそんな小さな風景の連続体験だ。 "どこにでもある" というのは、しかしだからこそ、"それはそこにしかなかった"、ということなのかもしれない。 風景とはおそらく、そんな一見の矛盾の中で展開する、非常なる価値である。

記憶の中に残る様々な体験の内には、つねに深層的なレイヤーとしての風景が広がっている。 そんなことを考えめぐらしてみるとき、風景の意味といったものを再認識するし、また何より、旅というものがより一段と楽しくなる。
by frdmoptn | 2005-05-28 18:59
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