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0 3 4 8  都市の意志、集合性の無意識 
物質的、あるいは統計・数値的な現象としてではなく、意識の上に「燦然と」立ち現れる群集の形=都市の形を、最も明瞭に認識することのできるトポスとしての交通路。膨大な個々人がそれぞれ取捨選択した交通路=回路の中に己を組み入れ、行き交っている現代の都市社会にあって、そのとき交通路がメディアとして取り持っている、示唆に富む最大の特性は何か。自己と同じ「編成」=都市空間の広がりと構造を認識するための回路構成を持つ他者が二人といないという点で、都市はそもそも個々人においては異なった断面を立ち現している。しかし交通路こそは、そのような異なった回路が「つかの間」交錯するトポスでもあるはずで、そのとき個々人の意識が交通路の中で切取った都市の断面それぞれの集積は、単なる「集積」という状況の枠を越えて、群集の形=都市の形を限りなく精緻に表徴している可能性がある。都市というものをひとつの「主体」と仮定すれば、まるで僕ら自身が「彼」とってのプログラムのコマンドとして存在し、移動しているかのような錯覚を覚えようとすることが、そう難しいことではない。しかしその上で見出されている、群衆の形=都市の形とは、プログラムの集積の構図の背景に茫々と、だが確かに立ち現れている集合性の無意識の部分である。あるいはその無意識を、主体としての都市の「意志」と言ってみてもいいかもしれない。だがプログラム自体が「意志」を構築しているという意味では、個々人もまた「都市」である。交通路のメディア性とは、断面の集積によってしか意識しようのない、僕らにとっての集合性の無意識=都市にとっての意志を生み出すことに、ある方向では集約されるものなのかもしれない。

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