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0 3 9 9  「日本橋の上を首都高がまたいでいる」
0 3 9 9  「日本橋の上を首都高がまたいでいる」_c0006990_12554885.jpg10+1 No.43 都市景観スタディ

とりいそぎの感想を書き留める。

まず、若林幹夫氏の論考「景観の消滅、景観の浮上」の、弱い景観/強い景観という切り口が面白く、日本橋は依然として東京の都市景観の代表要素のひとつであるが、都市のイメージの中にはうまく場を占めない一方で、新宿駅はイメージの中に確実に場をしめるけれども、景観としての様相はきわめてあいまいであるということには、なるほどなと思う。

そもそも「日本橋の栄光」ってなんだろうか?現代の日本橋地区に「栄光」なるものを求める意義が不明瞭だ。その意味である時期を特化するのではなく、重層的な歴史の現実を受け入れるべきだという五十嵐氏の意見には相変わらず賛同できる。五十嵐氏はこの問題を「特定の場所をめぐる時間の戦争」と表現しているけれども、まさにそのとおりで、明らかに日本橋をめぐる「時間」が不適当に固定化されようとしている。斉藤理氏が"「歴史的景観」という一条のメインストリームをきれいに描き出すことなど実は幻想に過ぎないし、恣意的であるということも思わされる。"というように、移転推進派が「栄光」と表現するあたり、僕はそれがどうも無意味な幻像であるとしか思えないし、ある種の胡散くさささえ覚えてしまうのだ。

ただ、五十嵐氏の意見は、いわば首都高移転論へのひとまずの対峙として表出したものであると考えるとすれば、それよりも僕らがまず注意しなければいけないことは、日本橋地区に展開する都市環境の「質」的なものが、なんでもかんでもむやみやたらに「日本橋の上を首都高がまたいでいる」という現象にショートカットして絡められるという、今の時勢の流れに疑問を投げかけなければいけないことだ。
by frdmoptn | 2006-07-09 12:58
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