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0 5 2 7  池田宏彦展 
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池田宏彦 写真展 "ネゲヴにて -at Negev-"へ。

- 私たちが捉えている時間とか場所といったものは、たまたまかりそめのものであってそれほど確実ではないという感覚を、シンプルで力強い砂漠の風景を背景に一種の「視角的なたとえ」として表せないか。

- いくつかの場所にカメラ位置を決めて、月夜・星夜・昼間、ぼんやりと人がいたり光があったり、といった異なるシチュエーションで撮影することで、1つの場所が持ちうる可能性のようなもの―例えばそこが「こうであった」ことと、「こうであり得たかもしれない」ことたちとの隔たりが徐々に薄くなり、ついにはお互いに浸透しあってというしまうような―を視覚的なたとえとして表そうとしている。

"私たちが捉えている時間とか場所といったものは、たまたまかりそめのものであってそれほど確実ではない" ― そこに「確実なもの」があるとすれば、それはすべての写真が焼き付けている、荒涼とした砂漠の景であり、その確たる実在感だろう。ここではそれを絶対的な基底として、そこに現象としての光が種々に顕現する様が捉えられている。

「かりそめ」であるからこそ、「こうでもあり得たかもしれない」、というような異種の現象性にたいする感知や、あるいはそういったことを契機とする身体と世界との一義的ではない豊穣な関係性の余地みたいなものは、そういった何かしらの「基底」がないと顕在化しない。砂漠が選ばれた理由は、砂漠が持つ強烈な実在感が、そういった基底たるものに「たとえ」として通じたから、とうことなのだろう。

現象以前、光以前の基底としての闇、そこに発生する深遠な洞察の余白。建築の「闇性」という個人的な関心にたいしてとても示唆に富む作品展だった。
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by frdmoptn | 2007-09-02 18:22
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