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0 5 3 3  写真表現と現代空間の深層 
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- 建築や都市は、実空間を訪れる以上に、写真というメディアをとおして理解され、経験され、記憶され、そして批評されることが少なくありません。本展覧会は、写真作品を通じて表わされる都市空間や建築の様相を見ることで、その実態を体験することとは違った、もうひとつの経験や見方を発見しようと試みるものです。

APPEARANCE ― 写真表現と現代空間の深層、@ヒルサイドテラスへ。

オリバー・ボバーグ、大島成己、アーミン・リンケ、カンディダ・ヘーファーの4人の作家の作品が、ギャラリーの4つのスペースに対応して配されている。(スペースが4つだから4人選んだのか、それともたまたま4対4に対応したのか、どうでもいいけれどちょっと気になる。)

リンケ以外の3人の作家は、それぞれ数点の作品が大判のプリントで展示されていて、鑑賞する立場にとっては単なる写真というものにとどまらないような被写体のリアリティが得られる。一方リンケは、膨大な数の写真をそれぞれ別のキーワードが題された5つの冊子に重複を許しながら振り分けている。

そのうち個人的には、ボバーグの《Factory Site》という作品と、リンケの5つの冊子のうち"Stages of Fluids"と題されたものに収録されていたダムの写真などが印象に残る。(リンケの、特に圧倒的なスケールで捉えられたダムや橋脚、炭鉱の露天掘りなどの「構築的なもの」を捉えた作品には、もう個人的にアドレナリンがでっぱなしだった。)

《Factory Site》は写真ではなくて映像作品なのだけれど、真夜中の無人工場を定点カメラで観察しているといった設定のもので、鑑賞者が、遠景にわずかに明滅する煙突の障害灯と、中景あたりにかすかに流れる"もや"などを視認し、そしてなによりもヘッドフォンを装着して何とも表現しようのない夜の音(かといって何の変哲もない夜音なのだが)を聴きながら眺めることによって、それが「写真」ではなく「映像」であることの実感が得られるような、きわめてデリケートなもの。

ボバーグの作品は、どれもその風景自体が自ら模型セットで制作した模造の景だが、この映像作品も模造なのだとすれば(おそらくそうだろうが)、鑑賞者に視覚のみならず聴覚まで導入させてその圧倒的な真実さの世界のなかに招き入れてしまう狡猾さというか巧妙さは、とても身震いするものがある。なんというか、そうなると模造と現実の世界の差というかその認識の境界のありかというものはいよいよ曖昧になってくる。

帰りがけに受付で、今回の展示会に先駆けて行われたTN Probeのレクチャーシリーズ「建築と写真の現在」のうち、逃してしまった初回の多木浩二の講演録を購入。

一通り展示を見終えて、以下の言葉がなんとなくフラッシュバックした。

- 見たところそこでは、なにも変わったことは起こっていない。にもかかわらずそこには、ほかでもないその空間であり、そこに配置された最小限の物体からしか生まれないであろう、ある経験が存在している。
- われわれがこの世界をあらかじめそこにあるものとして受け取り、そのなかで生活したりものを考えたりすることができるのは、世界を構成するあまりに精妙な要素を、まえもって省略し編集することによって、そのつど経験世界を「再生」しているからにほかならない。(中略)世界のディディールに対し、単に「視覚的」というレベルを超えて、神経生理学的に知覚を開くことができれば、たとえミリ単位をさらに分割するような痕跡ひとつであったとしても、目前の世界は大きく変容してしまう。
http://takahirotanaka.net/w/review/review_j.pdf


その後代官山を出て青山ブックセンターに立ち寄る。たまたま目に付いた『ふすま 文化のランドスケープ』なる本を迷った末購入し、プリズミックギャラリーの武井誠+鍋島千恵/TNA展へ。作品はどれもいい意味で"東工大的"で、なんとなくほっこりする。

続けてギャラ間の小嶋一浩+赤松佳珠子/CAt展、GAのザハ展をめぐって、時間になったので急いで早稲田へ。

今日から赤坂先生の講義が本格的に始まったが、なんかもうあれはスポーツのようだ。それこそこちらも久々にいい汗を流した気分。だいぶくたくたになった一日だった。

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0 5 1 7  TN Probe/「建築と写真」
by frdmoptn | 2007-10-09 23:58
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