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昨日観たものを順番に。

# Jan Van Oost/"il sogno di Dante" (ダンテの眠り)
http://www.nca-g.com/ja/exhibitions.html
ダンテ「神曲」をテーマにした彫刻およびドローイング、それぞれ数点。はいったとたん、一瞬ぞっとするような光景に出くわす。それがどういうものなのかここには書かないけれど、それをしばらく観ているうちに、以前五十嵐さんが指摘していた、アーティスト・やなぎみわの、「希望も後悔もない世界で静かに暮らそう」という言葉をふと思い出す。なにか究極の基底の地平(=僕の問題系における「闇」)のようなもの。生でもなく死でもない。光でもなく暗闇でもない。

# 柴田敏雄 作品展/"Work : Man"
http://www.zeit-foto.com/exhibition/index.html
「構築の意思」、という僕なりの問題意識のフレームで言うと、いわゆる「建築」には、つねに永続して「フラットな」意思があり、土木構築物には、「減衰するグラジエント」がかかった意思がある。後者に特有なのは、つねにその時点の減衰量に比例するだけのなにがしかの別種の「意思」がそこから放たれて、また同時にその消失分にたいして僕らのほうからもある「まなざし」が向けられているということだ。そのうちにグラジエントは、ある絶対的な「基底」へと到達するにいたる。とても感覚的な話だが、僕が作りたいのは、たとえばそんなグラジエントがかかった構築物だ。

# 杉本博司/"漏光"
http://www.gallerykoyanagi.com/exhibition.html
「露光時間」という概念が示唆深い。森美術館の回顧展をもう一度みたい。
- 人間の眼を写真機という機械になぞらえてみると、水晶体がレンズ、網膜がフィルム、瞳が絞りということになる。ではシャッターは眼の何にあたるのだろう。シャッターはカメラにとって重要な装置である。刻々と変化していく現実、とらえどころなく流れていく時間、に対して毅然とした態度で時間に線を引き、見るものを決定する。漠然としていた実像としての現実は、この事によってはっきりとした方向性と意味を与えられた虚像としてフィルムに定着される。シャッターを持たない人間の眼は必然的に長時間露光となる。母体から生れ落ちて、はじめて眼を開いた時に露光ははじまり、臨終の床で眼を閉じるまでが、人間の眼の一回の露光時間である。/『苔のむすまで』, 杉本博司

# JAUME PLENSA/"SILENT VOICE"
http://www.tamada-pj.co.jp/art/exhibition.html
広い倉庫、白熱灯のごく限定的な光に照らされただけの展示空間のなかで、運よく鑑賞中たまたまずっと一人だったのがとてもよかった。自分の足音しか聞こえない暗がりの中で作品と対峙。強烈だった。ここしばらくみた展示のなかでもっともオススメ。

# 石川直樹/"POLAR"
http://www.scaithebathhouse.com/ja/exhibition/data/071116naoki_ishikawa/
凍てついた世界の中では、たとえば橋の鉄、家々の屋根、岸壁のコンクリート、あるいはライトの照度までが、激しい視覚の強度をともなって迫ってくる。SCAI THE BATHHOUSEは初めていったけれど、改修にもうちょっとやりようがあったんじゃないかと思った。もったいないという印象。
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by frdmoptn | 2007-12-13 15:24
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