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0 5 6 2  ケネス・フランプトン講演会 
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ケネス・フランプトン講演会、「現代建築批評―テクトニックを巡って―」へ。

お台場の東京国際交流館にて。学生がとても多かったが、槇さんを筆頭に、難波和彦、鈴木博之、長谷川逸子、八束はじめほか、その他建築家・大学教授等々、著名な顔ぶれも散見された。講演は二部形式で、前半90分でフランプトンによるレクチャーが行われ、後半で、パネラーの隈さんと山口隆氏が登壇してのディスカッションと、最後に質疑応答。18時すぎスタート。

前半のレクチャーは、TOPOLOGY・SUSTAINABILITY、MORPHOLOGY・MATERIALITY、HABITAT・CIVIC FORMという、3群・6つのキーワードにまとめられた、いわゆる「批判的地域主義」の立場から眺めた現代建築批評。いささか流暢すぎる英語舌の同時通訳のせいか、というよりもそもそも僕の根本的な勉強不足のせいなのだと思うのだけれど、フランプトンの生ライブを前にうまく咀嚼が追いつかず、6つのキーワードにカテゴライズされた批評世界の全景を理解をすることがいまいちむずかしかった。

後半のディスカッションもあまり噛み合わないといった印象のもので、なかなか思うように課題が進まない僕なんかは、前半のスライドでちょっと気になったプランなどにインスパイアされて、時々メモ帳にスケッチをしている始末だった。

ただ、ふつう建築がになうべき「社会性」というと、われわれは往々にしてプログラムとかプランニングの組み方という問題範疇において捉えがちであるが、フランプトンの言うように、grand work(「土工事」と訳されていたが、つまり建物の接地のあり方ということだろう)やfireplace(「暖炉」、日本においては縁側的なものだろうか)といったキーワードに表象されるような営為そのものが「社会性」であるのだという考えには、当たりまえといえば当たりまえなことなのだが、隈さんもその着想に対する感嘆を告白していたように、なるほど目をまるくした。

ところで、フランプトン自身も上記6つのテーマをあらかじめ異なる指向性をもった3つの群にまとめていたように、6つのテーマ相互間にこれといった客観的な連関性が認められないのは、それらは系統だったあるひとつの平面上に並置的に構築されたものではないというか、必ずしも互いに補完しあってひとつの全景を目指しているものではないのだ。

つまりそうであるからこそ、そのようなスタンスは、複雑高度化した現代建築をめぐる状況に対して、ある意味ではもっともまっとうな批評断面としてそれぞれが独立的に効力をもちうるはずなのであるし、もっといえばそういう方法論、つまりある種の偏見性や主観性こそが、実は意外にも有効な戦略なのかもしれない。だから、理論的な等断面によって検証を試みようとする態度や、あるひとつの焦点をめざして収斂していく体系的なパースペクティブの下にすべてを俯瞰して語ろうとする態度こそ、すでに古いのではないだろうか。

最後に、以下は僕の走り書きメモ(自分でも解読不能なほどの)によるものなので正確な内容ではないかもしれないが、フランプトンは次のようにいってレクチャーを締めていた。

"以上でレクチャーはおしまいです。私の示したスライドに特に追加することはありませんが、最後に言うことは、私は、あるヴィジョンによって育った私は、ひとつの時代に関心を持っているということです。世界文化のなかに近代的な形として立ち上がる建築は、土着的な社会性と切り離すことはできません。社会との関係である建築は、それゆえグローバル化社会のなかでは難しいものでもあります。光の速度で資本はうごき、それにともなって建築の速度も速くなるのです。" 

20時半すぎに終了。帰りの海風はとても寒かった。
by frdmoptn | 2008-01-14 13:06
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